千紫万紅、柳緑花紅

    幕間 (お侍 extra)
 



     
癒しの里



 蛍屋から程近くに、いつも場違いなほど香ばしくも甘い匂いを辺りへ漂わせている、せんべえの菱屋という店がある。そこの一番人気の菓子に“ニッキ煎餅”というのがあって。小麦と卵と砂糖を練って薄く延ばして焼いた、よくある焼き菓子のことだが、かりりと齧ると一緒に練り込まれているニッキの香りが鼻まですっと通って芳しく、また、その大きさも指先でひょいと摘まめるほどの小ささなので、酒飲みの男衆にも口寂しいときのお茶受けにと人気がある、癒しの里の秘やかな名物で。これを朝帰りの父親が土産に提げて帰って来ると、どういう訳だか父と母が喧嘩になることへと、大人の事情を知らない子供が首を傾げる、そんな小噺があるくらい。


 ほのぼのとした談笑の場は、お昼下がりの陽光目映い、広々とした居間へと移り。昼餉でお腹が膨れてちょっぴり眠くなった小さな娘御は、見るからに瞼が重たげになっているにも関わらず、まだ起きているのだと少しばかり愚図っていたが。彼女が傍らに居たかったご当人、お客様の綺麗なお兄さんがしばらくほど添い寝をしてくださると、御機嫌なままにあっさりと寝付いてしまわれて。
「ほんに、現金な子ですこと。」
 美しいうなじを見せるためにと襟を大きく抜いた、あでやかな着付けが様になる。それは小粋な美貌をほころばせ、くすすと艶に微笑んだ奥方が言うには、
「あの子、このごろでは“大きくなったら久蔵様のお嫁さんになるんだ”なんて、事ある毎に言って聞かないんですよ?」
「おや、それは…。」
 選りにも選って物凄い野望だのと眸を見張った勘兵衛様へ、
「う〜ん、困りましたねぇ。」
 父親の七郎次がまた、いかにもわざとらしく腕組みをしてまで首をひねって見せて、
「カンナは一人娘だから婿に来てもらわなきゃなんない。となると、ウチは何たって客商売ですからねぇ。久蔵殿は、気品と威圧と商才は申し分ないが、肝心な愛想がちと足りない。」
 昔の幇間扱いのころとは立場が違うせいだろう、それなりに品のいい色襲
(あわせ)も巧みな、小袖と単(ひとえ)を絶妙に組み合わせてまとっていた若主人。その表情にも味わいある深みのいや増した、こちらさんも小粋な面差しをしかめたりほどいたり、何かしら検討する風をうんと意味深に装ってから、

  「そうですね。
   勘兵衛様をオマケにつけて下さるなら、
   それで大まけにまけての承諾となりますかな?」

 オマケとは何だ。いいじゃあござんせんか、店を若いのに任せた老後は、3人で縁側に座って茶のみ話でも致しましょうよ。どこか本音も見え隠れしていそうな冗談口に、男女の高低入り混じった笑い声が、それでも遠慮気味に立ったのへと重なって、

  「…す。困りますったら。」
  「こちらまで勝手に上がられては困ります。」

 ふすまの向こう、廊下の側からの声がした。何だか騒々しい雰囲気であり、客人がある奥向きへ強引に上がり込まんとしている何者かを、この時間帯の店の静謐を主人から預かる家人らが、必死で制止しているという気配。
「何の騒ぎだろうね。」
 こんないい日に つや消しなことだと感じたものの、ここでいちいち主人が出て行けば、家人たちの顔を潰しかねずという微妙なところ。まだ遠いからと、しばらくほどはその押し問答、聞くでもなく聞いていたものの。
「…っ。」
 なかなかに粘る相手へと、数人がかりでも歯が立たないか、騒ぎの声はちっとも収まる様子を見せなくて。これはもうもう我慢ならんと、額に青筋おっ立てた七郎次が立ち上がった、それとほぼ同時のこと。
「久蔵が来ておじゃるとな?」
 聞き覚えの重々あることへもうんざりな、いけ図々しい誰かさんのお声が、わっとばかりにふすまを開いて飛び込んで来たのへと、

  ――― ぎらり、と。

 まるで白昼の悪夢のように、強い光をぬらりとまといし銀色の刃。おしろい焼けか粉をふいての見苦しき、厚顔者のその顔の間近へと、容赦も躊躇もなく かざされており。
「ひぃぃ…っ。」
 大慌てで踏みとどまったそのまま、甲高い悲鳴を上げかけた更なる迷惑へ、冷たく浴びせられたのが。低く張り詰めた叱咤のお声で。

  「………うるさい。カンナが起きる。」

 いきなりの抜刀とは、こちらさんもまた 見かけの玲瓏さを裏切って、なかなかに過激なお人であるところは変わらない。“死にたいのか”じゃあないところは、それでも練れて来た方なのか。
(こらこら)
「あわわ…。」
 とはいえ、これへはさすがに…勘兵衛や七郎次は動じなかったが、刃を向けられた闖入者だけでなく、引き留めるのにとここまでを張り付いて来た手代や女中たちまでもが“ひぃ”と震え上がって尻餅をついており。それを見かねて、
「これ、久蔵。」
 目顔だけで やめよと勘兵衛が諭せば、ふんと鼻先での息をつき、何とか刀は鞘へと収めた彼ではあったれど。
「ああまで気が短いお人でしたかね。」
「お主には寛容だったから、気がつかなんだだけだろう。」
 今でも依頼仕事の端々でなぞ、この儂にさえ切っ先を向けよるぞと、味のあるお声でくすすと笑った勘兵衛様だったりし。
「…勘兵衛様へ、ですか?」
 これ以上のお味方はない相手だってのに、それはまたどうしてと。これへは尚のこと驚いたらしき七郎次が訊き返せば。動じもしないまま、澄ましたお顔で湯飲みを持ち上げ、
「あまり腕前を見せつけるなと抜かしおる。」
 勘兵衛自身の言いようへと重なったのが、薄くだが にんまり笑った久蔵本人からの、伏し目がちになった赤い目元から寄越された流し目線であり。

  ――― うっかり斬りとうなるから 煽るな。

 野伏せり崩れの小悪党の一団を相手の、大殺陣回りになったりもする修羅場の最中。どんな混戦になろうとも、群を抜いて目を引くほどもの、鮮やかにして際立つ太刀筋を披露するのは、どうしてもこの二人だけなものだから。束になってかかって来る半端者どもを、野分の大風に是も否もなくあおられる草むらよろしく、右に左にと無駄なくさばいて薙ぎ払い、舞うような太刀筋もなめらかに、苦もなく斬り伏せてゆく勇猛果敢な存在へは。興奮状態に盛り上がった身にはどうしても…するするとその意識が惹かれてしまうものならしい。全てが片付いてやっと静まり返った饗宴の末場にて、歩み寄ったそのまま ちゃりっと切っ先を差し向けて来ると、そんな物騒なことを甘く囁く相方なのだそうで、

  「…お二人に限っては、そんな物騒な惚気もありなんですねぇ。」

 らしいというか、何だかなぁと。困ったように苦笑した七郎次だったのも、まま無理はなかったというところ。





  ………で。


「そうそう焦ってお越しにならずともとも良いでしょうに。」
 そもそもの話、此処の家人らでさえ急なお越しにあれほど沸いてしまった彼らの来訪を、誰にどう聞いて嗅ぎつけたことなやら。そっちも十分胡散臭いぞと、商売上手で愛想が良い外面を持つ七郎次でさえ、ついつい呆れたお顔を隠せなかったその相手。かつてはこの虹雅渓の差配まで務めた大商人の、綾磨呂という御仁であったりし。いったんその行方をくらまして、凋落を囁かれもしたものの、今はまた式杜人との提携で蓄電筒を生産し、それなりの威勢を取り戻してもいるそうだけれど。そんな彼があの当時は結構危険な立場だったのを庇ってやった恩があるせいか、こっちの面々へは強気を張れない相性になって久しくて。そういえば昔はこの久蔵を自身の護衛にと抱えていたのが、まま縁といえば縁ではあって。覚えててやってもいいかなという繋がりを、今現在も何とか残してもいるという間柄。それが何とも図々しい押しかけぶり、無粋にも程がありゃあしませんかと、暗に非難のこもった言いようを差し向ければ、
「そうは言うが、放っておけば幾らでも他所の伝手へと持ってゆくではないか。」
 恨みがましげに上目使いを見せる。それへと、
「義理はない。」
 やっぱりすっぱり言い放った久蔵だったものだから、
「ほれ見い。」
 こやつときたら昔の恩も付き合いも忘れおって、不人情なとか不義理だとか続けたかったらしいところを、
「商人がその商いに甘さを乗っけてはならぬのでしょう? 侍の戦いに匹敵する真剣勝負、騙し合いになるのは定石で、時には嘘もかまわぬと…。」
 そんな言いようをしていたのはどなただったかと、相手の厚顔さへの辟易も込めて、寡黙な君へと加勢をすれば。
「そうやって育てた誰ぞに、大きに裏切られたよってな。方針転換じゃ。」
「相手へだけ求めてるようじゃあ、あんまり変わっちゃあおりませんての。」
 呆れての吐息をついた七郎次に、これ以上の詰まらぬ会話をさせるのも忍びないと、さすがに思った久蔵なのだろう。刀こそ収めたが、隣りの座敷への襖の前へと仁王立ちになったまま。それでも連れへと一瞥を向け、それを受けた勘兵衛が、背後に置いていた荷の中から、長い包みを取り出
(い)だす。大きな厚手の布包みとなっていたそれをほどけば、中から現れたは2つの木箱。大きめな方を指差した久蔵に従い、卓の上、そちらを押しやれば。やや興奮気味の初老の元商人殿。震えかかる手で間近まで引き寄せて、少し堅い蓋を慎重に上げ開く。陽と雨にさらされて読むことも不可能な、蓋の裏書などを舐めるようによくよく眺めたその後で、自分が座していた傍らの畳を、身を譲って大きく空けると、そこへと中に入っていた筒状の巻きものを、そろりと置いてゆっくりと開いてゆく。直接の陽は当たらぬが適度に明るい座敷の畳。その上へと広げられたは、緑豊かな庭での曲水の宴を写したらしき、和風装画の一幅で。個々の存在への輪郭を、細いがしっかりとした鉄線で縁取り、庭の流れへ酒杯を載せた舟を流すという、大人の遊興を子供の姿に置き換えての図とした洒落も愛らしく、
「…おお、これは。」
「綺麗ですねぇ。」
 七郎次や雪乃が思わずの声を放ったのは、純粋に画面の繊細な美しさを指してのものだったが、
「…うむ。篆刻も真っ当、墨の年代も正しく、構図も景色も問題はない。間違いなく真筆じゃの。」
 それなりの確認法でもあるものか、絵よりもその装丁やら手法やらの方をばかりあらためていた綾磨呂氏が、やっとのことで納得したその途端、大急ぎでまとめ直して、元通りに片付けてしまう現金さ。
「四ツ坂光春の真筆。確かに。」
 鷹揚な態度でうむうむと頷いてから、おもむろに背後を振り返り。実は連れて来てたんですよのお付きの者へ手を伸ばせば、地味ながらもしゅっとしたいで立ち、生成り色の前合わせの詰め襟に筒裾ズボンというお傍衆姿の小男が、重たげな錦の袋を仰々しくも掲げつつ差し出して。
「これほどの大作。庭園図は定番ものとしての評価も揺らがぬからの。即金の金四百でどうか?」
 そうと訊けば、訊かれた金髪痩躯の青年は…ぼそりと一言。
「タチバナの御前は息災か?」
「う…。」
 恐らくは共通の知人の名前なのだろう。それを持ち出した久蔵だったのへ、たちまち言葉に詰まったところを見ると。その人物がこの手の絵の収集家で、そっちへ持ってけば…もっと値も上がろうと暗に示した久蔵であるに違いなく。こういう度量や度胸をさして、商才があると言った七郎次であり、
「…負けじゃ。金五百。今時の相場の上限じゃ。」
 それへとこちらも頷いての商談成立。錦の袋をそれごと差し出され、やっと卓まで寄って来ると腰を下ろした久蔵自身が、口を開けて中を見、ひょいと持ち上げて…重さを確かめ、よしと頷く。乱暴なことではあるが、これで間違った試しがないので、他の面々も何も言わない。こんな場に貨幣を並べる無粋さよりもずっと良いと、むしろその手際の爽快さへあてられてのこと、皆してやっと愁眉を開いたほどであり。
「さあさ、これで御用はお済みでしょう?」
 お引き取りをと促す主人へ、せっかちなことよと口元をひん曲げ、
「そちらは…。」
 残ったもう1つの木箱へと、名残り惜しげにしている素振りを見せた元・御前へ、
「………。」
 今度こそはの強い視線を差し向けて、ただそれだけで黙らせた上、そそくさと立ち上がらせる、若侍さんの威圧の物凄さ。あたふたと立ち上がり、座敷を出てゆく姿へ、元・差配だった肩書もどこへやらだとの滑稽さを感じつつ、

  「で? こちらはどんな作品で?」

 無粋な闖入者の足音が十分に遠ざかり、それなりの間も幾刻か置いてから。七郎次があらためて問いかければ、打って変わって にこりと笑い。開けてみよとの目配せも、そりゃあ艶なそれだったりし。そんな彼へと一礼を捧げてから、雪乃がその白い手で卓の上へと広げて見せれば、
「まあ…。」
 明るい中へと広げられたる和装の画は、やはり和風装画の一幅であり。題材は青磁の花瓶へ生けられた牡丹の大輪が二輪ほど。霞むほどもの淡い彩色が何とも上品で、しかも、花と花瓶とへそれぞれにほどこされた緋と碧の“ぼかし”の妙技に得も言われぬ深みがあって。ついつい、いつまででも眺めていたくなる、とても優しい景色の見事な作品ではないか。
「北景五香老、風景画の鬼才だが稀に静物も描いていた。」
 丁寧な筆致が厭味のない、正に風雅な逸品であり、
「凄いですねぇ。こうまで富貴で存在感のあるお花が、しかもこんなに大きいのに押し付けがましくないなんて。」
 品があって優しくて、眺めているだけで心が晴れ晴れする。こんな傾向の作品は、どんな値がつくそれであれ関係なく、まずは…とこの蛍屋に持って来る彼であり、
「これを。」
 受け取ってほしいと、小首を傾げてのおねだり顔になるのもいつものこと。
「ですが…。」
 もう一体何本の作品をお預かりしておりますことやらと、七郎次も雪乃も困ったように顔を見合わせた。この座敷の床の間に下がっているのだって、先に彼が持って来た、竹やぶに遊ぶスズメたちの絵で。そんな他愛ない画題のこれも、客の中の目利きが言うには、近年夭折したという天才画家の遺作であり、金三百は下らないとか。そんな高価なものをほいほいと頂くのも気が引けると、躊躇を見せる若夫婦へと、
「頼まれてやってくれぬかの。」
 勘兵衛様までもが後押しをするのもいつものことで。
「我らが持ち歩いても詮無きもの。そうやってどこかで無為に損なうよりも、こちらの娘御の眼福に微塵にでも貢献すれば重畳というものでな。」
 大した土産も選べぬ不調法、それを補うつもりのことと思ってと。そうまでいわれては無下に撥ね除けも出来ずで、
「では、ありがたく頂戴いたします。」
 やっとのことに受け取ってもらえそうな気配。ほっとしての笑みを浮かべる紅衣のカナリアさんへ、
「でも、本当に。」
 七郎次は“しようのないお人なんだから”と、眉を下げての困り顔のまま。
「これが気遣いなのなら、そんなものは無用ですよ? ここは実家も同じと思って下さいと、いつもいつも申し上げておりますでしょうに。」
 本当に不器用なお人なんだからと。きょとんとして小首を傾げる様も、数年前とほとんど変わらぬままの、金髪痩躯のお仲間さん。自分にとってはいつまでも気掛かりな次男坊さんへ、擽ったげな眩しそうな眼差しを向けてしまう、元・おっ母様だったりするのである。






            ◇



 この久蔵殿に、刀捌きの他にも、意外な…骨董書画への目利きという、意外すぎる特技があると判明したのもその時である。
『御前の屋敷にいっぱいあった。』
 口数の少ない彼のこと、そういう一級品ばかりをただただ漫然と眺めているうち、箱書きや覚書からの知識と共に、逸品の放つオーラのようなものを嗅ぎ分けられるようになっていたのだろう。書画のみならず、焼きものに金蒔絵などの工芸品、かんざしや櫛こうがいなどの装飾品に至るまで、市場の安物に紛れているのを見いだしたり、古民家の整理の場に行き合わせては文字通り掘り出してくる炯眼は凄まじく。しかもその発端になったのが、あの神無村で彼らが逗留していた詰め所の、屋根裏にあった一幅の画だった…のだけれども。それを思い出すと、ついでに芋づる式に引っ張り出されるのが、別口の、それは擽ったいエピソードであったりもする。



 久蔵の腕の容体の方も一段落したとあって、七郎次が“お暇をいただきます”と突然言い出したのは、彼にしてみればそうそう“いきなり”なことでもなかったらしく。
「菊千代の進退も気になりますし、それに。」
 いつもの囲炉裏端にて、お膝を揃えた彼が言うには、

  「虹雅渓へ、世間の風評を確かめに行きたいのですよ。」

 数日前に届いた書状の中には、その虹雅渓で『蛍屋』というお座敷料亭を切り盛りする雪乃からの手紙もあって。歓楽街という、世情に口さがのない人々が寄り合う社交場に身を置く彼女からの、あくまでも情報をのみ綴った簡潔な書状であったものの。だからこそ、それが彼をして、こんな行動を思い立たせた源ともなっており。
「あれからほぼ一ヶ月経ちましたからね。世間様からの扱いがどんな案配になっているのか、一度きっちりと確かめておいた方がと思いまして。」
 虹雅渓といえば、お仲間の勝四郎が定期的に村との間を行き来してはいるが、それはあくまでも伝令として。菊千代の復帰を待って向こうに滞在中のコマチや、その世話を買って出てくれている正宗殿からの、用向きや伝言を運ぶだけに徹しており。周囲を眺めるという余裕は、とてもではないが無かろう彼でもあろうし、若くて蓄積のまだまだ浅い身では、接したことから汲み取れるものも浅く少ない恐れがある。
「世間から我らが後ろ指を差されるのは望むところでございまするが。」
「…うむ。」
 自分たちが天主・右京を殺めた“逆賊”と見なされることへの異議はない。ただ、神無村の皆様にまであらぬ噂や疑いが及ぶのは困る。野伏せり退治に集めた侍たちが図に乗って、畏れ多くも天主様にまで楯突いた。村の者らは彼らに刀で脅されて、已なく足場を貸してやっただけ…と。最悪、そんなシナリオに収めねばならず、
「まま、数人ぽちで挑んでどうにかなるものじゃああるまいと、まずはそう思われているようですがね。」
 雪乃が送って寄越した文にも、墜落した“都”の周辺から野伏せりの亡骸もまたおびただしく発見されたことから、寒村へ浪人たちを配置して自分たちを退治しようとした天主へ、追い詰められた彼らが群れなして襲い掛かったのだろうという見解が、一番有力な説としてもっともらしく流布していると書かれてあって。
「村の衆はさぞや怖い思いをしたろうと、同情されこそすれ、まずは疑われてもいないようです。」
 一番の憂慮は杞憂となりそうだったが、それでも確証を得ないと落ち着けないのでと。此処の外部へいったん身を置いてみようと、そうして情報を収集してみようと思い立った七郎次なのだろう。処世の術も心得ており、如才がなくて何かと融通も利いて、人当たりもいい。しかも洞察力もあると来て、そんな彼こそ、こういう種の“斥候”には打ってつけではあるけれど、
「…。」
 とはいえ、彼がそれを手掛けるにあたっては、問題が…全く全然ない訳でもなく。
「では、儂が…。」
 これでも単独潜行には経験もあるしということか、どんな“カミカゼ師団長”なのやら、勘兵衛が自分が出向こうと名乗りを上げかかったのだけれども、
「何を仰せか。」
 七郎次は やれやれと苦笑をし、
「もうお忘れか? 勘兵衛様はあの街で“公開獄門”てのをされかけたんですよ?」
 しかも、あの右京の天主就任のお披露目と同時に。だからこそ、自力で軛を解き放ち、反撃に打って出た勘兵衛から堂々と逃げる切り札に“恩赦”などという格好の口実を、彼に与えもしたわけで。
「さっきも言いましたが、まさかにほんの一握りの頭数でどうこう出来る事故や事件じゃないというのが、世間一般、誰もが思うところでしょうが。その一派にいた誰某という格好で、ただの一人を吊るし上げることは可能です。」
 どんな形であれ悪夢に鳧をつけたいと、早く忘れて将来
(さき)へ進みたいと思っている者は、善しにつけ悪しきにつけ大勢いましょうし、
「しかも、今はまだどこもかしこも混乱していて、正式な裁きが下されるとも思えない時期です。」
 七郎次からの睨むような強い眼差しへ、
「何が言いたい。」
 こちらも頑迷そうな深色の眼差しを突き返せば、
「何も知らない民への、けじめとしての“人身御供”にするには、勘兵衛様はうってつけな対象だ…ということですよ。」
 それが判ってて、何であなたを虹雅渓へ向かわせられましょうかと、はぁあという溜息と共に、今度は悩ましげに眉を寄せる槍使い殿。とはいえ、

  「…。」

 そんな彼の横顔を、ほんのすぐ傍らから、もっと悩ましげに…すがるように見つめ続けている存在があるのもまた、そうそう見過ごせぬ事実だったりし。いかにも“心細いです”と言わんばかりのそのお顔は、日頃が徹底して無表情の君だっただけに効果も絶大で。潤みを増した赤い目許といい、泣いたらお母様が困るからと懸命に引き結ばれている口許といい、こちらの胸が抉られんばかりの痛さでもって絶賛公開中だったりし。
「…そんなお顔をしないで下さいな。」
 ほんの、そうですね、5日ほどの話ですよ?と。大したことではありませんと言ったつもりが、
「…5日、も?」
 繰り返して訊くのがまた、置き去りにされるのを前にした幼子みたいに寂しげで。

  「ほれみよ。あんまりお主が甘やかすから。」
  「何を仰せですか。
   こんなに可愛いお人を相手に、甘やかせない鬼が何処におりますよ。」

 刀を取ったら雷電でも都電…もとえ、弩級戦艦“都”でも、高々と飛んでって追いついて襲いかかりの、刀の尋以上の切り口浴びせて、一瞬にしてざくざく切り裂ける恐ろしい人ですが…。そっか、シチさんにかかったら、そんなお人でも“可愛い属性”なのか。それはともかく。
(苦笑) いつの間にやら彼の保護者という自覚も大きい“イツモフタリデ”様たちが、こそこそっとお互いのみが聞き取れる範囲内で素早く言い合って、さて。
「これはそう、お留守番のお稽古です。」
「?」
「先々では、当然のことながら、アタシがいつもいつも久蔵殿にぴっとりと付いてる訳にもいかなくなります。それは判りますでしょう?」

  「………………ん。」

 なんか、えらい間の空いた“是”でしたが。
(う〜ん)それをね、少しずつ練習してゆきましょうよ、と。にっこり笑って言い諭せば、

  「………………承知。」

 やっぱり何だか、えらい間の空いたお返事だったが。まま、ご本人が納得の意を示したからにはと、それを“やっぱりヤダ”と曲げるほど、本当の子供じゃあなかろうしということで。取り急ぎの出立の準備に取り掛かった母上へ、

  「…。」

 ふと。それまでの延長で、囲炉裏端の寝間に座っていた久蔵が、顔を上げると見上げたのが…隣りの居室、寝間に使っている部屋との仕切りの真上の空間で。こちらの居室は囲炉裏がある関係からか、天井板もなくのじかに茅葺きが露出した屋根の裏となっているが、隣りの部屋には天井板が張られてあって、そこと屋根の茅葺きの間の空間がちょっとした物置になっている。
「…久蔵?」
 ふらりと立ち上がったそのまま。小袖姿なのも意に介さず、軽く腰をかがめると、そのまま一気に…姿を消した彼であり。
「これ。突然に何をしておる。」
 まだ病み上がりもいいところ。この一ヶ月をずっと臥せっていた身で何をするかと。案じの声を掛けやれば、
「…。」
 さすが練達の身なのは同んなじで。素早い動きに翻弄もされず、見失う事なく見上げていたその居場所。屋根裏の物置から、少々埃にまみれて顔を出した次男坊が“ほれ”と差し出した、妙に長い箱を下で受け取ることとなった勘兵衛であり。
「これは?」
 やはりもうもうとした埃と一緒に飛び降りて来、
「あっ、これ。何をしてるんですか、お二人ともっ。」
 出掛ける前になんでわざわざ仕事を増やしてくれますかと、辺りを埃まるけにしてくれた父上と次男へと、ちょいと眉を吊り上げたおっ母様。そんな七郎次へ、件
(くだん)の箱を差し出して、
「そう怒るな。久蔵がの、旅費だか土産だかを見つけてくれおった。」
「………はい?」
 色白なお顔にいや映える、青い眸を見開いて。ワケが判りませんがと きょとりとする七郎次を前に。やや手荒だったが、本人は嬉しそうな顔で父上のするに任せているのでと。わしわしと、次男坊のふわふかな金の髪を“いい子いい子”と掻き混ぜてやる勘兵衛様であったりしたのである。





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  *ああ、しまった。
   肝心な絵と久蔵殿の関係の説明をしとらんじゃないか。
   という訳で、後半へ続く。